アラフォーゲイの子育て奮闘記

シングルファザーの海外子育て備忘録

一時帰国中に思い出した姉のこと

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです‍♂️ 2年前の今頃こんな記事を書いていました。 https://www.sarokatsu.com/entry/2022/07/31/224500 実は今回一時帰国をした際に泊まっていたホテルは、姉が最期息を引き取った病院の近…

姉の墓参りをする度に考えさせられること

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです‍♂️ 今週金曜日に仕事で東京へ来た日には、オフィスから隣のビルが見えない位ひどい大雨で驚いたんですが、考えて見るとまだ梅雨なんですよね。 海外に住んでいると日本の季節感を忘れ…

40代で亡くなった姉

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです‍♂️ 昨日、姉の三回忌を迎えました。 ブログを読み返すと、忘れかけていた過去の記憶が鮮明に蘇ります。 余命宣告を受けた時の姉の反応、嗚咽しながら病院の売店に姉が食べたいと言った…

ゴールデンウィークの思い出

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです‍♂️ 日本は今日からゴールデンウィークですね! 2年前のゴールデンウィークは、まだ生後8ヶ月だった息子を連れて、沖縄へ家族旅行に行きました。 意地でも市販の離乳食を食べさせたくな…

姉さん元気にやってますか?

昨日久々に姉さんの夢を見ました。 厳密に言うと姉さんが出てこなく、姉さんをただひたすら探すと言う夢でした。 今自分が仕事で悩みを抱えていて、姉さんが生きていたら相談したかったと、心が無意識に望んでいるのでしょうね。 姉さんは30代の時に癌を宣告…

ご無沙汰しております

昨年5月にブログ再開を匂わせてからほぼ9ヶ月更新が止まっていたサロカツです。皆様いかがお過ごしでしょうか。お察しの通り、この9ヶ月色々ありまして、音信不通状態になっておりました。関係者の皆様には本当にご迷惑をおかけしました。 この9ヶ月間は、自…

姉に別れを告げてから1年経過

姉が昨年癌で突然他界してから、1年が経ちました。つい昨日まで姉といたような感覚と、もう何年も会っていないような感覚が入り混じって、とても不思議な感覚です。 良くも悪くも姉のいない「新常態」にも慣れてきて、1年前のように突然涙が出てくることはな…

Sさん家族と会った時に同席していた妹から聞いたのですが、「お兄ちゃんに子供が産まれてから家族がよく集まるようになったね」と姉と妹が話したことがあったそうです。確かに、子供が産まれる前は年に数回程度会うだけの関係だったのが、母も姉も月1ではう…

10年後に明かされた姉の癌の真相③

Sさんの長男は心理学を学んでソーシャルワーカーとして働いています。姉のこともよく知っているその彼曰く、姉は甲状腺癌になってしまったことに対して罪悪感を感じていたか、もしくは自分は治療を受ける価値などないと感じていたのではないかということです…

突然思い出した姉のこと

つい先日姉がいない新常態に慣れてきたと書いたばかりですが、昨日突然姉のことを思い出してしまうことがありました。それは会社のお昼休憩中に買い物をしに外出した時のことでした。 暑さを避けるために目的地につくまで建物の中を歩くようにしていたのです…

10年後に明かされた姉の癌の真相②

医師から見せられたMRIスキャンには癌の黒い影が広範囲で脳を覆っていて、医師も最初は動揺していたそうです。 でもステージ4の甲状腺癌を告知された姉が医師に真っ先に聞いたのは「(ナースプラクティショナーになるための)看護学校を続けられるか?」とい…

10年後に明かされた姉の癌の真相①

早いもので姉がこの世を去ってから2ヶ月半以上が過ぎました。亡くなった直後は、愛犬の散歩をしている時やシャワーを浴びている時に無意識に涙が出てくることがありましたが、今はそういったこともなくなり、姉がいないニューノーマル(新常態)にも大分慣れ…

天国の姉へ〜49日を終えて

姉さんが天国へ逝ってから49日が経ち、昨日は母と妹、息子と一緒に食事をしてきたよ。姉さんが最後沖縄旅行で食べられなかったしゃぶしゃぶを食べに行こうか、それとも姉さんが好きだったインドカレーを食べに行こうか、そんなことを相談していると、姉さん…

姉の死後にしたこと④

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 姉の遺品の整理と同時並行で進めたのが姉の友人や同僚向けの偲ぶ会の企画・開催です。姉はここ数年インドカレーにはまって色々なお店を食べ歩いていたので、偲ぶ会もインド料理屋で開催することにしました。姉…

姉の死後にしたこと③

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 姉の住んでいたアパートは自分と妹が住む街のちょうど中間地点にあったので、お互い都合の良い時に行って遺品の整理をしました。姉と同じで几帳面な妹は、仕分けをしたり掃除をしたりと細かい作業、大雑把な自…

姉の死後にしたこと②

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 火葬式の翌日、不動産会社に言って姉の住んでいたアパートの解約をしてきました。その後、姉のアパートで妹と合流して、遺品の整理を始めました。 実は姉のアパートを訪ねるのはこれが初めてで、自分の知らな…

姉の死後にしたこと①

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 葬儀会社の人が霊柩車で姉を迎えに来た後、母と妹、Tちゃんと自分も家路につきました。通夜式や告別式は行わず、家族だけだけで火葬を行うつもりだったのですが、Tちゃんが姉の友人に、会社で姉と特に親しかっ…

後悔と不信感⑤

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 姉が余命宣告を受けた翌日、Tちゃんを連れて姉と面会したこと、そしてその面会からわずか1時間で姉が天国へ逝ってしまったことは既に書きました。医者に言われた2,3週間よりも実際に残された姉の余命は短いと…

後悔と不信感④

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 差額ベッド代を払わなくてもよい場合は病棟管理以外にもあって、例えば常時適切な看護をしたり集中治療をする場合などがそれに当たります。 一般病棟に移されてからも個室にいた姉の差額ベッド代について医師…

後悔と不信感③

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 緊急搬送された日、姉は隔離病棟の個室に入れられました。コロナの陰性結果が出るまでは一般病棟に入れられないというのが理由でした。Tちゃんが翌日に姉と電話で話した時に、姉は差額ベッド代のことを気にし…

後悔と不信感②

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 姉はとても几帳面でした。買い物のレシートは日付順に整理していましたし、闘病記録も検査結果や医師のコメントを含めて細かくメモしていました。当然ですが普段から部屋もきれいにしていたはずです。 ところ…

後悔と不信感①

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 姉と羽田空港の地下鉄改札で別れた1週間後、姉の友人で同じ会社に働いているTちゃんから姉の様子を見に行ってほしいと連絡がありました。 Tちゃんは毎朝姉と会社のチャットで他愛もない会話をしているらしいの…

新しい希望に忍び寄る影⑨

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 沖縄旅行はあっという間に終わり、いよいよ東京へ帰る日となりました。この日も姉は体調が悪く、JALのチェックインカウンターで車椅子を借り、且つ羽田空港でもゲートのところに車椅子を用意しておいてもらう…

新しい希望に忍び寄る影⑧

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 琉球村へ行った時は長時間移動で姉が辛そうにしていたので、翌日は首里城など近場の観光をすることにしました。が、姉は相当疲れていて、観光はパスして、夕方にマッサージに行きたいと言っていました。 ↑姉が…

新しい希望に忍び寄る影⑦

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 美ら海水族館へ行った翌日は琉球村というテーマパークへ行くことになっていたのですが、レンタカーが借りられなかったので、路線バスを利用しました。ところがゴールデンウィークということもあり、道路は大渋…

新しい希望に忍び寄る影⑥

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 沖縄旅行3日目。この日は美ら海水族館で行くことになっていました。姉はこの時点で歩くのが相当しんどくなってきているようで、水族館で車椅子が借りられるか事前に調べていました。ところがウェブサイトには…

新しい希望に忍び寄る影⑤

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 混雑を避けるためにGWから少しずらした沖縄旅行。出発当日、姉は待ち合わせの時間に20分遅れてやってきました。振り返ると、既に体力が衰えていて、普段のペースで歩くことができなかったのだと思います。 ↑羽…

新しい希望に忍び寄る影④

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 自分が海外出張に行くことになり、保育園の送り迎えと朝晩の息子の世話を姉に頼みました。週末は妹に育児を手伝ってもらっているのですが、妹は在宅勤務ができないので、平日は姉にお願いすることにしたのです…

新しい希望に忍び寄る影③

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 昨年8月中旬から約1ヶ月ほど住み込みで子育てを手伝ってくれた姉。その後も、月に何度かうちに立ち寄っては、息子の世話をしてくれていました。 ある時、分厚い参考書を抱えてうちにやってきたので、何を勉強…

新しい希望に忍び寄る影②

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。 姉が正社員として仕事を始めるのと同時期に、自分もアメリカでの代理出産に挑戦していました。そして昨年夏に念願の子供をさずかり、コロナ禍で大変な思いをしながらアメリカから帰国しました。その日のことは…