アラフォーゲイの子育て奮闘記

シングルファザーの海外子育て備忘録

余命宣告⑤

母と息子を連れて病室へ戻ると、Tちゃんと妹が姉の足をマッサージしていました。それが気持ち良いと姉が言ったそうです。姉はつい先ほどアイスを食べていた時よりも明らかに疲れているようでした。​​​​​​​

 

すぐに自分は息子を姉の横に置いて、「○ちゃん(息子の名前)が会いにきてくれたよ」と声をかけました。この時点で目が全く見えない状態になってしまっていた姉は、空中で手を動かして息子を探します。

 

自分が姉の手の平に息子の腕を持っていくと、姉は何度も確かめるように息子の腕を掴みました。「○ちゃんが私の今の生き甲斐なの」そう姉はTちゃんに先月話しながら、息子の写真や動画を送っていたようです。それだけ息子を可愛がってくれていたからなのか、この48時間弱々しかった姉が、この時ばかりは息子の腕を離すまいと必死に体を動かします。

 

その間、自分はたまたま視界に入ってきたはベッド脇の心拍数モニターを見ていました。病室に戻ってきた時には160あった心拍数が、150、140と少しずつ落ちています。安静時の心拍数が60〜80だと言われているので、まだ大丈夫だと思っていました。

 

その心拍数が120を切り、100を切り、ついに80まで下がってきました。その異変に妹やTちゃんも気付いたのか、声を上げて姉の名前を叫びます。一瞬だけ心拍数が安定しますが、すぐにまた下がり始め、60を切ってしまいました。

 

病室には嗚咽にも似た悲痛な叫び声が響き渡ります。自分はこの時、「頑張れ」と言いかけようとしたのですが、すぐにやめました。だって姉はもう10年近くも頑張ってきたんですから。もうこれ以上苦しんで欲しくないと思ったのです。だから自分は代わりに「ありがとう」と声をかけました。

 

心拍数が40を切ったところでしょうか、医師がおもむろに姉に近づき、何かを確認したかと思うと、一言「もう息をされていません」。心臓が動いているんだからまだ助かる可能性があるはず・・・その場にいた誰しもがそう思ったはずです。でもすぐに心拍数も30、20、10と落ちていき、最後は映画のワンシーンのように0を打ちました。映画との違いは、心拍数モニターからピーという音が出ていなかったことですかね。

 

だから姉が亡くなった瞬間というのは、本当に静かだったんです。姉は最後苦しんだわけではなく、むしろこれまでの辛さから開放されたような、どことなく安堵感が漂う表情をしていました。その静寂と、周りにいた家族やTちゃんの嗚咽が見事なまでに対比的だったのを覚えています。<続く>