アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

姉の思い出②

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。

姉は躊躇せずに色々なことに挑戦する人でした。高校の修学旅行で京都の魅力にはまった時は茶道や琴を始めて、中東に興味を持ったらひとりでふらっと旅行に行ったりしていました。自分が中高生だった時には、3歳年が違うと随分と大人に見えましたから、それが「大人の普通」だと思っていました。

 

そんな姉は短大卒業後に就職をする訳ですが、20代後半に一念発起してアメリカ留学をします。まずは語学学校に入り、その後4年制大学に通い、そしてその次に大学院に進学して心理学を勉強します。姉に自分がゲイであることをカミングアウトしたのはこの頃だったのですが、姉の反応が「いまちょうどLGBTのことを勉強してるから、今度インタビューさせてよ」という感じだったのを覚えています。

 

これは姉の死後に姉の友人から聞いたことですが、姉は誰とでも分け隔てなく付き合う人で、とても交友関係が広かったそうです。自分がカミングアウトした時の反応も、弟に気を遣ってわざと言ったものではなく、本当に(ゲイであることに対して)偏見がなかったのでしょうね。行動だけでなく思想も自由だったのだと思います。

 

自分が3年前に代理出産で子供を持とうとしていることを話した時も、最初の反応が「私おばさんになっちゃうのね。ベビーシッターなら任せて」でしたしね。そんな自由な姉が大学院を卒業を目前に控えたある日、姉に更なる人生の転換期が訪れます。<続く>