アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

新しい希望に忍び寄る影⑥

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。

沖縄旅行3日目。この日は美ら海水族館で行くことになっていました。姉はこの時点で歩くのが相当しんどくなってきているようで、水族館で車椅子が借りられるか事前に調べていました。ところがウェブサイトにはコロナの影響により貸し出し中止と書いてあり、観光ができるかどうか不安だったようです。

 

美ら海水族館についてインフォメーションセンターでだめもとで聞いてみたところ、幸運にも車椅子の貸し出しを再開しているとのことでした。早速姉は車椅子に乗り、母がそれを押すことになりました。年老いた母に車椅子を押される姉を見た時は複雑な気分でした。この後母と交代して自分も車椅子を押すことになりましたが、姉の体重が予想以上に軽かったのを覚えています。

 

几帳面な姉が毎日欠かさずつけていた闘病記録が姉の死後に出てきたのですが、それによると旅行出発前だけでも10日ほどで体重が2kg痩せており、旅行から帰ってきた後も1週間で3kg近く痩せていました。それだけ癌が体を蝕んでいたのだと思います。

 

今回の沖縄旅行から家族へのプレゼントだったのですが、美ら海水族館と初日の夕食だけは姉がお金を払ってくれました。夕食は家族で一緒に食べた最後の晩餐、美ら海水族館は家族一緒で回った最後の観光地となったので、もしかしたら姉は自分の死期が近づいているのを分かっていたのかもしれません。

 

↑息子を抱える自分(中央)と母に車椅子を押される姉(右奥)

 

水族館を出た後、昼食を取ったのですが、2,3口野菜を食べただけで、車椅子の上でぐったりとしていました。美ら海水族館がある海洋博公園には小さなビーチもあるのですが、そこに行った時だけは「海に入りたい」と言い出して、さっきまで辛そうにしていた姉が笑顔で海へ向かって歩いていきました。10分間くらいだったでしょうか。

 

その時の写真は残っていないのですが、透き通るような青い海を見ながら姉は何を思っていたのでしょうか。ほどなくして雨が降ってきたので観光を終了して宿泊先の那覇に戻りました。この晩も姉はホテルに戻るや否やベッドに倒れ込むようにして寝てしまいました。<続く>