アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

新しい希望に忍び寄る影⑨

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。

沖縄旅行はあっという間に終わり、いよいよ東京へ帰る日となりました。この日も姉は体調が悪く、JALのチェックインカウンターで車椅子を借り、且つ羽田空港でもゲートのところに車椅子を用意しておいてもらうようリクエストしておきました。

 

姉は昨夜に引き続き首が痛いと訴えるので、空港の薬局で湿布を買って貼ってあげました。その時に、昨日マッサージしたところが青あざになっていて驚きました。癌と関係があるのかは分かりませんが、姉は車椅子に座っているのも辛そうでした。

 

そしていよいよ搭乗です。東京までは約2時間半の長いフライトになるので、姉が少しでも楽に過ごせるよう、足元の広く、お手洗いにも近い最前列の席を指定しておきました。通路側の妹と窓側の自分と息子に挟まれる形で姉は真ん中の席に座りました。

 

離陸してしばらくすると飲み物のサービスが始まりました。姉は水とアップルジュースを注文したと思います。それを飲んでしばらくすると、姉が苦しそうに体を動かして、おもむろに座席の前のポケットに入っていたエチケット袋を取り出し、吐き戻してしまったのです。キャビンアテンダントも心配してお手洗いを使うか聞いてくれたのですが、姉は目の前にあるお手洗いにいく気力もないようで、ただただ妹に介抱されていました。

 

姉曰く、空きっ腹で薬を飲んだからとのことでした。確かに姉はこの2,3日、食事らしい食事をしていませんでした。この後救急車で搬送されるまでの1週間も恐らくまともな食事が取れていなかったのではないかと思います。事実、姉が毎日記録していた体重を見ると、東京に戻ってから入院するまでのわずか1週間の間に、体重が更に2kgも落ちていたのです。

 

しばらくして姉の様子が落ち着いてくると、隣に座っている息子の寝顔を見て笑顔を見せる余裕も出てきました。ただそれは一瞬のことで、羽田に着くまで目を閉じながらひたすら耐えているようでした。

 


↑息子の寝顔を見て微笑んでいた姉(手前)

 

羽田に着き、リクエストしていた車椅子に乗ると、JALのスタッフに車椅子を押されながら手荷物受取場に向かいました。当初ここで車椅子を返却する予定だったのですが、姉があまりに辛そうにしていたので、JALのスタッフが地下鉄の改札まで車椅子を押してくれました。自分と妹はモノレールだったので、地下鉄の改札で母と姉と別れました。

 

姉は家に帰るのも大変だったはずです。なんで家まで付き添ってあげなかったんだろうと今非常に後悔しています。でもまさかその時は姉が翌週に亡くなってしまうなんて想像もしなかったんです。<続く>