アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

10年後に明かされた姉の癌の真相③

Sさんの長男は心理学を学んでソーシャルワーカーとして働いています。姉のこともよく知っているその彼曰く、姉は甲状腺癌になってしまったことに対して罪悪感を感じていたか、もしくは自分は治療を受ける価値などないと感じていたのではないかということです。逆に、他の人に尽くすことによって、自分に存在価値を見出そうとしていたのではないかと。

 

当たらずと雖も遠からずといった感じですが、それだけでは説明がつかない気がしました。その時、彼のパートナーで、同じく姉のことを知る人が「お姉さんから生前に言われて驚いたことがあるんだけど・・・」と切り出しました。

 

姉が中学生になったばかりの頃、うちの両親は別居をしたのですが、母や父にはどこに行くかを知らせていなくて、ある日突然3人の子供を連れて家を出て行きました。もちろん前から引っ越す準備はしていたはずですが、父だけでなく自分も全く気付きませんでした。ただ、姉だけには母は計画をそっと話したそうで、父には内緒にしておくように念を押されたということでした。

 

これは自分も知らなかった事実で、話を聞いて驚きました。うちの両親は夫婦喧嘩が絶えなかったのですが、姉はいつも体を張って母を守ろうとしていました。ここには書けないことも実は沢山あります。こうした出来事が重なって、もしかしたら姉は「自分が家族を支えないといけない」「自分は強くなければいけない」と考えるようになってしまい、自分よりも他人を優先するようになってしまったのかもしれません。

 

女性が就ける仕事が限られていた当時、シングルマザーが3人の子供をひとりで育てるのは大変だったはずです。単に金銭面ではなく、夜遅くまで働く母は自分たちにあまり時間を割くことができなかったので、道を外してしまう可能性も十分にありました。それでも自分や妹がきちんと育ったのは、姉が常に見本を示してくれていたからだと思います。

 

それと引き換えに姉が自分の命を失うことになってしまったのだとしたら、やはり自分は残りの人生を精一杯生きる責任があるなと感じました。<続く>