アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

40代で亡くなった姉

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです🙇🏻‍♂️

 

昨日、姉の三回忌を迎えました。

 

ブログを読み返すと、忘れかけていた過去の記憶が鮮明に蘇ります。

 

余命宣告を受けた時の姉の反応、嗚咽しながら病院の売店に姉が食べたいと言ったかき氷を買いに行ったこと、心拍モニターの数字がどんどん下がるのを見ながら泣き叫ぶように姉の名前を呼んだこと、死んだ後の病院の事務的な対応に驚いたこと(病院スタッフが忙しいのは承知してます)、霊安室に運ばれた時にはすっかり冷たくなっていた体の体温のこと。

 

今でもこうやって当時のことを思い出すことができるのは、ブログに書いておいたお陰です。

 

姉は生前、「○ちゃん(息子の名前)が私の今の生き甲斐なの」と友人に語っていたそうです。そのことを知ったのは姉が死んだ後でしたが、姉が亡くなる直前、直感的に姉に息子を会わせなければいけないと感じ、本来はコロナウイルスワクチン未接種の子供は立入禁止だった病棟に、(先生に特別の許可をもらった上で)息子を入れさせてもらいました。

 

姉の病室に入ると、当時はまだハイハイしかできなかった息子をすぐにベッドの上に乗せ、姉に向かって「○ちゃんが来てくれたよ!」と叫びました。既に姉は声を出すことも、目を開けることもできませんでしたが、空中で手をか弱く動かしながら息子の場所を探し、息子の腕に触れると、離すまいとばかりに必死に腕を掴もうとしました。

 

息子が病室に入るのを許可されてから姉が息を引き取るまで、30分はなかったと思います。我ながら、絶妙な判断だったと思います。

 

あれから2年。息子は、姉のことはほとんど記憶にないはずですが、今でも写真を見せると姉の名前を呼びます。

 

姉が生きていたら、息子とどんな会話をしていたのかな。

 

自分の子育てを見ながら、「勉強(読み聞かせや数字遊び)ばかりさせて可哀想」と揶揄ってくるかな。

 

妹と休みを合わせてこっちに来ては、事前に調べておいた有名店の食べ歩きをしていたかな。

 

自分の心が弱っている時、姉に会いたくて仕方のない時があります。姉にお説教をしたこともありましたけど、自分の選んだ人生を生き抜いたという意味で姉に敵わないことを理解しているからこそ、心の中でいつも頼っているのでしょうね。

 

 

海外移住する時にも持ってきた姉の遺骨。好物だった虎屋の羊羹を妹が先日日本から買ってきてくれたので、同じく大好きだった干支のうさぎの置物と一緒にお供えしてあります。

 

突然海外移住したり、移住先で1年も経たないうちに仕事を辞めたりと、人生を迷走している自分ですが、写真の中の姉は、相槌を打ちながら、批判をせずに、ただただ自分の話を聞いてくれているようです。生きていた頃のように。