アラフォーゲイの子育て奮闘記

シングルファザーの海外子育て備忘録

「課金」という言葉に感じる違和感

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです🙇🏻‍♂️

 

言葉は生き物です。だから時代によって使われ方が変わるのは仕方ないと思っていますが、最近の「課金」と言う言葉の使われ方に一部違和感を感じているので、今日はそのお話をします。

 

自分が特に気になっているのは、「習い事に課金した」のように教育の文脈で使われている場合です。違和感の原因は、①用法が間違っていることと、②押し付けがましさが見え隠れしていることです。

 

課金とは「料金を課する」ことですが、「課する」とは相手に何らかの義務を負わせるという意味なので、先生が生徒にレッスン代を課金することはあっても、そのレッスンを受けた生徒(またはその親)がレッスン代を課金することはありません。

 

仮に「支払う」という意味で「課金」を間違って使っているんだとしても、習い事なんて基本有料なんだから、わざわざお金を払ったと言う必要はないような気がするんですよね。だって、「コンビニで弁当に課金した」とは言わないですよね。

 

「課金」と言う言葉にわざわざ払ってあげているんだから「(子供に対して)結果を出してね」「(先生に対して)あとは任せました」というニュアンスを感じるのも気持ち悪さの原因です。そもそも親が子供に教育を与えるのは当たり前ですし、「わざわざ」習い事をさせている・塾に通わせているのは親の都合であって、子供や他人に恩着せがましく言ったり、責任を押し付けるようなことではないと思うんですよ。

 

例えばうちの息子はピアノを習っていますが、一部の天才を除いて、たかだか週1程度のレッスンで上達する訳がないですし、子供が自発的に練習をすることはありません。でも、「うちはせっかくピアノ教室に課金してるのに・・・」と子供や先生に苛立つのはお門違いだと考えています。

 

だから自分は家でも息子にピアノの練習をさせますし、やる気がなさそうな時には、おもちゃやぬいぐるみなんかを使いながら気分を盛り上げるように努めています。重要なのは、いくらお金を払ったかではなく、いくら親が時間を割いてあげたかだと思います。

 

時間を割くというのは、家での練習や勉強に付き合うという意味だけではなく、子供を観察して興味のあることを理解することや、その興味を引き立てること、その子に合った教室・教師を見つけることも含みます。

 

「課金」がダメならじゃあ何というべきなのか?自分は「投資」の方が適切だと考えています。塾にしても習い事にしても、子供の能力を高めて人生を豊かにしてあげることに期待して、お金をかけているわけですよね。それはまさに将来への投資と言えると思いませんか?