アラフォーゲイの子育て奮闘記

シングルファザーの海外子育て備忘録

姉の命日に思うこと

1歳の息子を連れて海外移住したワンオペシングルファザーのサロカツです🙇🏻‍♂️

 

姉の夢はアメリカでナースプラクティショナー(簡単な医師の仕事もできる看護師)としてアメリカで働くことでした。

 

そのため、30歳手前で日本を飛び出し、まずは4年生大学の学位を取得し、次に大学院へ通い、そして40歳手前でようやく有名な看護学校に入学が決まりました。

学費を免除されたとはいえ、10年近いアメリカ生活で貯金は底をついていて、月1〜2万円の生活費で暮らしていましたが、精神的にはとても充実した生活を送っていて、電話すると「医学用語が難しすぎて覚えられな〜い」とか「今度聴診器で心音聞いてあげるよ」なんて笑いながら話してくれていたのを覚えています。

 

ところが、看護学校に通い始めてすぐにステージIVの癌が見つかり、すぐに休学することになります。本人はどうしても看護学校を卒業したいからアメリカに残ることを希望していましたが、体調が悪化していき、失意のうちに日本へ帰国。3年前の今日、他界しました。

 

余命宣告を受けた時の姉の反応、死ぬ間際に姉がかき氷を食べたいと言ったので、嗚咽しながら病院の売店に買いに行ったこと、心拍モニターの数字がどんどん下がるのを見ながら泣き叫ぶように姉の名前を呼んだこと、霊安室に運ばれた時にはすっかり冷たくなっていた体の体温のこと・・・全て昨日のことのように覚えています。

 

そんな姉に今日は感謝したいことがあります。それは、自分のアメリカ留学を後押ししてくれたことです。

 

アラフィフのこの歳で、しかも小さな子供を抱えた自分が、仕事を捨てて経済的なリスクを背負ってまですることなのか?そんな思いが、大学院から合格通知を受け取った後も頭の片隅にありました。

 

でも、姉が日本での仕事を投げ捨てて自分の夢を追いかけたこと、経済的には貧しい生活をしていたにも関わらずとても輝いていたことを考えると、自分ももできるはずだと自信が出て、最終的にアメリカ留学をする決心がつきました。

 

今回アメリカの大学院に受かったことは、必然だったのかもしれません。夢が叶いそうになった時に全てを奪われて悔しかっただろう姉の分も人生を全うしなさい・・・そう姉が自分に伝えているような気がしてならないのです。

 

 

海外移住する時に、姉の遺骨を大好きだったピンク色の小さな骨壷に入れて持ってきました。これはアメリカにも持っていくつもりです。そしてそれを毎日見て、夢を追う権利を与えられた自分がいかに幸せなのかを思い出して、勉強も育児も仕事も全力を尽くそうと思います。

 

姉さん、天国から見守ってくださいね。