姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。
姉の住んでいたアパートは自分と妹が住む街のちょうど中間地点にあったので、お互い都合の良い時に行って遺品の整理をしました。姉と同じで几帳面な妹は、仕分けをしたり掃除をしたりと細かい作業、大雑把な自分は家具家電の処理やゴミ出し担当です。自分は細かな作業が苦手なので、妹と作業分担できたことは本当に助かりました。
都合が合う時は平日に姉の家で在宅勤務をしながら作業をしました。姉が天国へ行ってしまったのは十分に分かっているつもりですが、そこにいるとなんだか姉と同じ空間にいて会話をしているようで、寂しさが紛れました。今年の梅干しはどんな具合に漬かってる?このカウチで寝っ転がりながらお気に入りのYouTubeを観ていたの?最近はお茶を点てる時間はあったの?そんな他愛もない会話を頭の中で姉としていました。
姉はものを大事にする人で、あまり新しいものを買うことはありませんでした。自分はあまりスピリチュアルなことは信じませんが、姉が亡くなった後もできるだけ姉の意志を継ぎたいと考え、遺品も粗大ゴミに捨てるのではなくて、なるべく再利用してもらえるように、リサイクルショップに出したり、ジモティーで近所の人に譲ったりしました。ジモティーを使うのは初めてだったのですが、予想以上に引き取ってくれる人が見つかり、粗大ゴミとして捨てなければいけないものはほとんどありませんでした。
姉のアパートからいくつか持ち帰ってきたものがあります。それは姉が使っていた包丁です。別に高級品というわけではないのですが、姉が日常的に使っていたもので、自分も料理をする度に姉を思い出せればよいなと考えたからです。妹もいくつか形見分けで姉のものを持ち帰ったようです。
段々と空になっていく姉のアパートを見て寂しさを感じることもありましたが、同時に気持ちの整理にもなり、姉の死後抱えていた怒りや罪悪感、虚無感などが段々と薄れていきました。<続く>