アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

姉の思い出⑤

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。

眼科医から勧められて軽い気持ちで耳鼻科の診察を受けた姉。なんとそこで癌の診断が下され、即入院・手術となりました。手術には家族の同意書が必要ですが、家族は全員日本にいたので、Sさんの長男に代わりに署名してもらいました。

 

この時点で既に癌はかなり進行していて、癌は既に背骨にも転移しました。そのため、手術は2回に分けて行われ、最初に鼻の奥にあった腫瘍を、その後背骨についていた腫瘍を取り除きました。

 

大掛かりな手術でしたが、術後は1週間程度で退院し、自宅から通院しながら放射線治療を受けることになりました。日常生活は普通に送ることができましたが、学校は休学。その次の学期も休学。そしてその次の学期も、心と体が追いついていないのか、休学することになりました。

 

そんな時、姉が日本に数週間ほど一時帰国することになりました。当初うちに泊まっていたので、体のことや今後の進路について質問しました。姉としては復学好き満々ではいましたが、既に40を過ぎていたこと、1年以上も休学していることを理由に、ナースプラクティショナーは諦めて日本で就職するよう説得しました。

 

煮え切らない姉の回答に自分はイライラしてしまい、きちんとした人生設計ができていないならうちから出て行ってほしい(実家に帰ってほしい)ときついことを言ってしまったのです。ある日、自分が仕事に行く前に、「自分のライフプランを考えて(自分が帰宅したら)プレゼンしてほしい」と姉に課題を出しました。

 

そして夕方に帰宅して姉が準備したプレゼンを見ると、A4の紙に数本の矢印と「学校」「結婚」という言葉が書かれているだけでした。「こんなに自分の人生をいい加減に考えている人と同じ空間にいたくない。今すぐ出て行って」と姉に怒鳴ってしまいました。今まで弱音を吐いたことのない姉が、この時だけはポツリと、「サロカツに私の気持ちは分からないよ」と寂しげに言って、その晩荷物をまとめて実家へと帰っていきました。

 

当時は姉のためにと思って投げかけた言葉ですが、今はものすごく後悔していて、思い出す度に胸が締め付けられます。癌と闘っていた姉の辛さを少しでも理解してあげられていたら、あんな酷いことはできなかったはずです。<続く>