姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。
自分の家から追い出された姉は数週間ほど実家に滞在してアメリカに帰っていきましたが、その数ヶ月後にアメリカを引き上げて日本に帰ってきました。これが姉にとっては一番良い選択なはず・・・自分はそう信じて疑いませんでした。
姉は帰国してからしばらくは実家で暮らしていました。当時40歳を過ぎて過去10年間職歴がなかった姉が理想の仕事を見つけるのは困難で、平日は派遣社員として働きながら、週末は地元の塾で講師として働いていました。当時の姉は生活のために働いている状態で、アメリカにいた時のような夢や希望はなかったと思います。
数ヶ月前まではナースプラクティショナーを目指していた姉は、自分のせいでその目標を奪われ、生きる喜びを見出せなかたのではないかと思います。癌の治療に対しても消極的になってしまい、帰国してから2年程治療をほとんど受けていない時期がありました。
姉と一緒に実家で暮らしていた母が年老いてきていて、高血圧で倒れたことが何度かあったので、5年ほど前に東京に呼び寄せることになりました。それと同じタイミングで、姉も東京で一人暮らしを始めます。
東京に引っ越してきたことで仕事の選択肢も広がり、癌の専門病院にも通えるようになり、友達とも会いやすくなったことで、姉は少しずつまた積極的になっていきました。趣味の茶道を再開したり、地元の祭囃子のグループに入ったりして、週末は忙しくしていました。
東京に引っ越しきてからは、某税理士法人で派遣社員として働いていたのですが、姉にしては珍しく人間関係で悩んでいて、仕事を続けるべきか何度か相談を受けたことがあります。自分もその度にアドバイスをあげましたが、姉は次回の契約更新やせずに辞めると決意していました。<続く>