アラフォーゲイの子育て奮闘記

代理母出産で子供を授かったゲイ男子の育児日記

姉の思い出③

姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。

姉は貧乏学生だったので、非常に質素な生活をしていました。学費を除いた月の生活費はたったの$200!どうやってアメリカで生活を送れていたかというと、知り合いの家に居候をさせてもらっていたからなんです。

 

その代わり、その家の主のSさん(女性)の介護をすることになっていました。食事の準備から掃除は勿論のこと、階段の昇り降りや病院の付き添いなどをしていました。Sさんには姉よりも少し年上の3人の子供がいたのですが、皆遠くに住んでいたので、姉がSさんの面倒をみてくれていることにとても感謝してくれていました。

 

当時姉はソーシャルワーカーを目指して心理学を勉強していたのですが、ソーシャルワーカーができることの限界を感じ始めていたことや、Sさんの介護を通して医療と関わることが多くなったこともあり、卒業後はナースプラクティショナーになりたいと希望するようになりました。

 

ナースプラクティショナーは、日本にはまだ導入されていない制度ですが、医師の監督下で診察・診断・薬剤の処方などを行うことが認められている看護師です。ソーシャルワーカーナースプラクティショナーの資格があれば、メンタルを病んでしまった人にカウンセリングだけでなく薬も処方したり、また、難病や末期症状を抱える患者と接する時に心のケアもできると姉は考えた訳です。

 

ただ学費は安くないですし、年齢も30代後半だったので、姉には迷いがあったようです。そんな時に後押ししてくれたのがSさんでした。当時Sさんも容体はかなり悪化していて、余命は短いだろうと言われていました。そんなSさんが応援してくれているのだからと、姉は奨学金や教育ローンの情報を集め、なんとかなると判断して、ナースプラクティショナーのプログラムに出願。無事合格して、看護学校に通うことになりました。<続く>